日本神経筋疾患摂食・嚥下・栄養研究会

「周期性嘔吐を合併した頸髄性失立・失歩の1例から」(2016/06)

周期性嘔吐症候群cyclic vomiting syndrome(CVS)は小児では一般的であるが、成人では稀である。しかも頸髄性失立・失歩cervical astasia abasia(CAA)に合併したCVSの報告は調べた限りではない。
初老期男性が庭木の剪定作業を終えた後、急に立てなくなった(両下肢が麻痺したと感じた)。意識は清明、背部痛なし、しばらく横になって元に戻った。翌日深夜再び同様の事態が発生、嘔吐を伴った。以後、同様の両下肢の麻痺と嘔吐が数か月の間に6回ほど繰り返された。消化器系異常なしとして当科へ紹介された。神経学的所見では、深部腱反射の低下、筋力正常。運動失調なく、継ぎ足歩行はややバランスを欠いた。Romberg陰性、Mannテスト陽性。Babinski陰性。表在感、深部覚に異常なし。両側の拇指探し試験が陽性。頸髄MRIにてC3-4;C4-5;C5-6に変形性頸椎症と頸椎管狭窄の所見。脳MRI異常なし。
失立・失歩とは、文字通り立てない、歩けない状況をいう。運動麻痺や四肢の運動失調はなく、深部感覚障害による運動障害と考えられ、一般に視床病変で生じる。末梢神経障害(CIDP)や頸椎症も原因となる(cervical AA)(文献1)。特徴は前触れなく急にバタンと倒れる(失立)。歩行はバランスが悪い(失歩)。自転車には乗れる(本例)。下肢の筋力は正常である。
本例の更なる問題はCVSの合併である。嘔吐中枢は延髄にあり最後野area postrema(AP)と呼ばれる。ここには嘔吐を誘発する様々な物質に対する受容体(AcH,H1,5HT2,NK1など)が存在し、Chemoreceptor Trigger Zone(CTZ)と呼ばれる。APには様々な経路を介して全身の臓器から嘔吐惹起刺激が伝えられる。嘔吐に関わる神経機構は複雑で、息をつめて、喉頭蓋を閉じて、腹圧を掛けて、胃から残渣をねじり出す運動が連続して生じる。加えて様々な程度に自律神経症状を随伴する。こうした一連の嘔吐反射を来す機構には、迷走神経が深く関わっている。つまり迷走神経の求心路はNodosum神経節を経て延髄の孤束核NTSへ2次ニューロンを送る。その結果がNTSから迷走神経運動核を介して、迷走神経刺激となって胃に伝わり吐瀉する。Vago-vagal反射である。
本例はCAAの原因を頸髄(C3-4病変)に推定しているので、嘔吐の原因も同じ病変で説明できれば最も納得できる。本例のCVSの推定病変を頸髄レベルであると仮定してみると、本例の嘔吐には副交感神経は原因候補たり得ない。三叉神経脊髄路、前庭脊髄路、或いは交感神経の脊髄の径路には可能性がある。しかし本例では三叉神経脊髄路の関わりを示唆する感覚障害はなく、めまい発作は来しておらず、内臓の交感神経線維は、胸髄から腰髄レベルで脊髄に侵入するので、こうした病変も直接の関わりがない。変形性頚椎症に伴う頭痛や慢性の痛みは否定される。ここで、文献渉猟中Th4-7レベルの髄内病変で交感神経の障害と繰り返す嘔吐(CVS)を来した1例なる報告をみつけた(文献2)。脊髄に侵入した交感神経求心路は、一部が内臓固有覚となって脊髄後索を視床へと上行し、又、一部はClarke柱を形成して、後脊髄小脳路となって小脳へ達する。つまり脊髄侵入以降の交感神経は内臓感覚を伝えることが役割となる。
本例では、胸髄レベルで脊髄に侵入し後索を上行し頸髄に達した交感神経経路がC3-4レベルで遮断されたと想定すれば一つの病変で両者を説明できる。内臓感覚を伝える交感神経経路が頸髄で遮断された為に内臓交感神経機能が低下し、副交感神経緊張状態vagotonyが惹起されたと考えれば嘔吐の機序も説明できるのではなかろうか。
同様の経験や御意見を賜れば幸いである。
鎌ヶ谷総合病院神経難病医療センター・センター長
湯浅龍彦
1)岩村晃秀、新村 核、根本英明、西宮 仁、湯浅龍彦.正常圧水頭症と頸椎性脊髄症にともなう失立失歩が合併した1例.IRYO 60:504-509,2006
2)Chelimsky G.et al. Vomiting and Gastroparesis in Thoracic Myelopathy with Pure Sympathetic Dysfunction. J Pediatr Gastroenterol Nutr. 39:426–430,2004