日本神経筋疾患摂食・嚥下・栄養研究会

非経口摂取で経過した場合,どうして軟口蓋のストレッチが必要になるのか.(2017/03)

軟口蓋運動による口腔と鼻腔の分離機能のことを口蓋帆咽頭(いわゆる鼻咽腔)閉鎖機能と呼んでいます.この運動の中心は,軟口蓋の後上方運動であり,軟口蓋の挙上高さの調整には,口蓋帆挙筋,口蓋舌筋,口蓋咽頭筋が協調して関わることが示されています1).これらの筋肉以外に,軟口蓋に分布する筋肉の一つに口蓋帆張筋があります.この筋肉の運動は三叉神経の運動枝が担っていますが,三叉神経の運動枝は咀嚼運動すなわち下顎運動を担当していますので,部位的に不思議な印象があります.
口蓋帆張筋は,蝶形骨の翼状突起の内側板の基部から生じ,内側板と内側翼突筋の間を垂直に下行し,非常に細い腱状の筋肉になり,内側翼突板の先端にある翼突鉤に巻き付くようにして走行をほぼ直角に内側に曲げ,反対方向からの同名筋と混じります(図1a).この交わりの部分を口蓋腱膜と呼んでいます.翼突鉤の高さは骨口蓋の高さより低い(下向きに突出している)ため,口蓋帆張筋は翼突鉤に巻き付いた後の走行は,正確には,内側上方に向かうことになります.すなわち,口蓋腱膜は上方向に湾曲したドーム状になります.
一般的に,口蓋帆張筋は耳管を開放するための役割を担っているとされています.耳管は,軟骨部と膜様部から構成され,上咽頭にある耳管咽頭口と中耳をつないでいます.口蓋帆張筋は耳管の膜様部に接しており,嚥下時に活動することで膜様部を引っ張り耳管を開放します.その結果,耳管内部の浸出液や空気が排泄されて,鼓膜外(外耳)の空気圧と中耳の空気圧を等しくします.飛行機に乗って上空に上がった際の鼓膜が外に押されるような奇妙な感覚が嚥下すると改善されるのは口蓋帆張筋が活動するからです.しかし,口蓋帆張筋の役割が耳管を開放するだけならば,前記した様な複雑な走行や口蓋腱膜を構成する必要はないように思えます.
食物を口腔から咽頭に送り込む際,後上方向への舌の口蓋への圧力が発生します.軟口蓋が,名称通り「軟らかい口蓋」であったら,この圧力は減少して送り込み圧も低下することになりますが,そのようなことは起こりません.むしろ,送り込みの速さは,咽頭が陰圧になることに加えて速くなります.なぜでしょうか?
軟口蓋に分布する筋群の筋紡錘の分布を調べた研究2~5)では,口蓋帆張筋には,その垂直に走行する部分に大型の筋紡錘が大量に分布することが明らかにされています.すなわち,食塊を舌が口蓋腱膜に向かって圧迫すると口蓋腱膜は伸長されて垂直部の口蓋帆張筋は急激に伸長されるために筋紡錘が反応して口蓋帆張筋は反射性に収縮します.その結果,口蓋腱膜は左右外側に引っ張られることになり,平坦化します(図1b).すなわち,下向きの圧力が発生することになります.これによって送り込み圧を増強しています.
すなわち,口蓋帆張筋の役割は,耳管の開放だけではなく,食べ物を押しつぶして送り込み圧を高める役割をも担っていると言え,このことで口蓋帆張筋の運動神経が,咀嚼筋と同様の三叉神経であることが理解できます.もしも長期に経口摂取していないと,非常に薄いリボン状の筋である口蓋帆張筋は容易に廃用化し,場合によっては萎縮することによって送り込みができなくなる可能性があります.したがって,非経口摂取で長期経過した場合には硬軟口蓋の移行部,口蓋腱膜の部分をストレッチすることが必要になります.
ちなみに,翼突鉤が口蓋粘膜を内部から押しているために口蓋粘膜後方に「hamular notch」と呼ばれる切痕が生じています.上顎の総義歯の後縁は,この左右の切痕より前に設定することが推奨されています.すなわち,この左右の切痕を結んだ線より後方に後縁を設けると嚥下時の口蓋腱膜の平坦化によって上顎総義歯と口蓋粘膜の間に空気が入ることで総義歯の吸着効果は低下して外れてしまいます.
文献
1) Moon JB, Smith AE, Folkins JW, Lemke JH, Gartlan M.:Coordination of velopharyngeal muscle activity during positioning of the soft palate. Cleft Palate Craniofac J. 31(1):45-55,1994.
2)Wickler: L’equipment nerveaux du muscle tenseur du voile du palais. Arc d’Anat D’Hist et d’Embryology. 47, 313-316. 1964.
3) Kuehn DP, Moon JB.: Histologic study of intravelar structures in normal human adult specimens. Cleft Palate Craniofac J. 42(5):481-489, 2005.
4) Kuehn DP, Templeton PJ, Maynard, JA.: Muscle spindles in the velopharyngeal musculature of humans. J Speech Hear Res.  33(3): 488-493, 1990.
5) Kuehn DP, Kahane JC.: Histologic study of the normal human adult soft palate. Cleft Palate J. 27(1):26-34, 1990.
図の説明
図1 後方から見た口蓋帆張筋
a 安静時.口蓋腱膜はドーム状に上方に湾曲している.
b 嚥下時.舌が口蓋腱膜を上方に押すと,垂直部の筋紡錘が反応して収縮する結果,口蓋腱膜は平坦化する.これによって下方の圧が発生する.
スライド1

一般社団法人TOUCH  舘村 卓先生